色々な人の写真を見、自分で撮っていると、「良い写真って何だろう?」「写真の本質って何だろう?」と思います。
私はアニメも好きなんですが、好きになる条件が2つあるんですね。
アニメがエンタテインメントである以上、ストーリーの面白さは言うまでもありません。
それ以外の条件です。
1つ目は、メッセージが普遍的なものであり、明快であること。
2つ目は、思考のフックになる作品であること。
それを満たしている作品の1つが、「プリキュアシリーズ」です。
最近の作品は、制作者の世代交代があって、私としては面白みに欠けるところがあるんですが、初代からハピネスチャージプリキュア!までは、欠かさず観ていました。
先日、なにげにハートキャッチプリキュア!を再視聴していたら、写真の本質に迫るエピソードがあったんです。
前振りが長くなりますが、ご存じない向きに簡単に説明しますと、ハートキャッチプリキュア!は、プリキュアシリーズの中でも、初代に続いて人気の高い作品の一つです。
それは、大人の鑑賞にも堪える作品だからです。
本作は「人の心」そのものを扱っています。
そのため、一つ前の作品フレッシュプリキュア!のような絵柄だと、子ども向けとしてはシリアスになって話が重くなるため、わざとギャグが入った、デフォルメされた絵柄に仕上げたそうです。
シリーズでは珍しく、主人公がシャイで引っ込み思案な、おとなしい女の子になっているのも、深い意味があります。
人は「心の花」を持っていて、同じものはひとつもなく、一人一人、色や形が全部違う。
敵側は、心の花を抜き取って、それを怪物化します。
元気な心の花は抜き取れず、弱っていると抜き出せる、というのも、この作品の重要なポイントです。
怪物化すると、普段は心の底に秘めている本音をぶちまけながら、暴れ回ります。
そうすると、ますます心の花は枯れていき、完全に枯れてしまうと、心の花を抜き取られた本体(肉体)は、永遠にクリスタルの中で眠ったまま出てこられません。
子ども向けなのでこうなりますが、事実上の死亡ですね。
プリキュアの戦いは、真っ黒になって枯れ始めている心の花を、浄化して取り戻し持ち主に戻すこと。
心の花を戻された本人が意識を取り戻すと、大切なことに気づくところも、この作品のポイントなっています。
人の心の花が枯れていくと、それと繋がっている大元の「心の大樹」もだんだん弱って枯れていきます。
敵の真の目的は「心の大樹」を枯らして、世界を砂漠化することです。
以上が、ざっくりとしたこの作品の設定です。
基本的に主人公は一人ですが、この作品では、最終的にプリキュアは4人になります。
このうち、二人目のプリキュアになる女の子の父親が、「世界でトップクラスのカメラマン」という設定なのです。
第6話と第19話は、話の主題を伝えるために、道具として「写真」が使われています。
この2話を観たときに、非常に感銘を受けたんです。
第6話は、主人公達の同級生で、カメラマンを目指している女の子のエピソードです。
彼女は「写真でみんなを笑顔にしたい」という夢を持ち、「スクープこそ写真の花」と考えています。
確かに、彼女が撮る身近な人のスクープ写真は、皆の笑いを誘っていますが、撮られた側は、不愉快極まりないわけです。
でも、彼女は「驚く写真を撮れば、みんなが喜んで笑顔になる」と、全く意に介しません。
ここに彼女の夢と現実のズレがあり、それを指摘するのが、カメラマンの父親なんですね。
第19話は、第6話で明示された、その父親がカメラマンとして大切にしていることを踏まえての、エピソードになっています。
話の中心は、父親が昔お世話になった男性とその娘です。
父親の妻、つまり二人目のプリキュアの女の子の母親は、元カリスマモデルです。
第19話では、二人の出会いのエピソードが披露されますが、それも第6話のテーマと繋がっています。
私はここを観たとき、びっくりしたんですね。
同時に、制作スタッフの作品に対する深い理解と熱量を感じました。
キャラクターの設定にブレがなく、話数に間が空いても、きちんと整合性がとれていました。
気になる方は、たかが女児向けアニメと思わず、一度DVDをレンタルして視聴してみて下さい。
ドキっとする人がいるはずです。
初代プリキュアは、一時Amazon Prime Videoで無料で公開されていましたから、いつかハートキャッチプリキュア!も公開されるかもしれませんね。
ちなみに、2つの話の中で、私が最も心に刺さった台詞は、
「みんなが喜ぶ写真っていうのは、撮られる人と観る人、両方を幸せにするものじゃないかな?」
です。
報道系は、また別の本質があると思いますが、これも一つの解だと私は思います。
標準レンズの習作