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他人の感性を自分のものにはできない

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異論はあると思いますが、現時点で思うことです。
写真学習をしていると、ときどき「何を撮ったら良いかわからない」という人に遭遇します。
逆に、風景を狙う人で、そういうタイプと遭ったことがないのは、最初から撮りたい写真があるからです。
そもそも「何を撮ったら良いかわからない」と思う背景に、写真よりもカメラに興味があって買った、という事実は無視できません。
誰しも、自分の本音を直視したくない気持ちがあります。
しかし突き詰めると、カメラをいじりたいから、あるいは、写真が撮れることがカッコいいと思えるからなど、写真そのものへの関心ではないところから、出発しているはずです。
誤解がないように付け加えると、その後、写真表現を追求したい、という気持ちに変われば、出発点はそれでもいいんです。
確信をもって言えますが、本当に写真が撮りたい人は、撮り方に悩むことはあっても、被写体に悩むことはありません。
写真で表現したいことがあって、画作りのためにカメラを買って、使っているからです。
前提として、写真表現を追求していれば、「自分は何を表現したいと思っているのか」が明確にならないと、撮れないのです。
極端な言い方をすると、良い光が当たっていれば、何でも被写体になります。
その上で、何を被写体として選ぶか、被写体のどこに魅力を感じるかは、人それぞれ違います。
だから、「その人らしい写真」や「○○さんだから撮れる写真」が存在するのです。
ところが、中学や高校の数学のように、「こういうふうに被写体を選べばOK」と、公式が存在する如く考える人が、一定数いると感じています。
仮に、写真が上手い人たちに、「あなたはどう考えて被写体を選んでいますか?」と聞いて回っても、回答はバラバラでしょう。
何を魅力的と思うかは、人によって違うからです。
感性がバラバラだから、写真に個性が出てくるわけです。
共通項は「光が良いこと」くらいじゃないでしょうか。
でも、答え(公式)があるんじゃないかと思っている人は、それがわからないんです。
その問いが、人の感性を借りようとしていることに気がつかないと、答えを聞いてもすっきりしないし、おそらく迷走するでしょう。
逆にわかっている人は、同じ問いをし、答えをもらっても、その答えから本質的な部分を抽出して、消化吸収し、自分のものにします。
上手い人の真似をして、同じ被写体や構図で撮れば、そのときは良い写真が撮れるかもしれません。
しかし、本人の地金が変わっていないので、違う環境では別人のような写真を撮ったりします。
クオリティがバラバラなのは、他人の感性を借りたときだけ、良い写真が撮れているからです。
反対に、純粋に写真に取り組んでいる人は、下手は下手なりに、一定のクオリティを維持しています。
ただ、そのクオリティが低いだけです。
最近、もう一つ、気がついたことがあります。
写真の上達のプロセスで行き詰まったとき、技術の問題なのか、感性の問題なのか、その見極めができるかどうかです。
技術は練習すれば上手くなるけど、感性は他人が教えられません。
そこがわかるか、わからないかは、意外と重要だと思います。
上手い人に聞いて、技術的なことはわかっても、自分の感性は磨かれません。
他人の形だけ真似てもダメなんですよね。
何を美しいと思うか。
何をカッコいいと思うか。
何に感動するか。
これらは、人の根幹の部分と繋がっています。
プロのカメラマンだって、作風や方向性がどんどん変わっていきますよね。
それは、その人の価値観や人生観が変化するからです。
技術は他人から学べるけれど、感性を磨くには、自分の中身を磨くしかない。
私は、そう確信しています。
引き続き、標準レンズで練習中。

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この記事を書いた人

2019年1月に初めてレンズ交換式カメラを購入し、写真を始めました。
コンデジでシャッターを押すしか知らなかった素人が、ゼロから写真を学ぶ日々を記録するブログです。

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